さまざまな年代にあった、魅力ある作品を提供しています。
♦ HOME>公開作品>児童・青少年劇/高校生・一般演劇
高校生・一般演劇
火垂るの墓
この舞台の原作「火垂るの墓」(直木賞受賞)は、著者、野坂昭如氏が、 1945(昭和20年)年6月5日、神戸大空襲の罹災体験を基に、食べる物も無く衰弱死した幼い妹へのレクイエムとして書かれた作品です。これまでに、原作をお読みになった方、また、アニメーションやTVドラマでご覧になった方も多いでしょう。

かつて日本は、国の政策を見誤り、中国、南アジア、大平洋の各地で無謀な戦争を繰り広げ、沖縄は戦場となり、国内の主要都市は焦土と化しました。さらに、原爆の洗礼をうけた広島・長崎では、未だに癒えない傷と不安を背負っている人たちが数多くいます。この狂気とも思える時代に生き、目の前の肉親や隣人を救えずに、生き残ったことへの悔いは、戦争を語り伝えるうえで、最も痛ましい現実です。

私たちは、「火垂るの墓」初のミュージカル化の舞台を戦争犠牲者へのレクイエムとし、「この無謀な戦争に、なぜ反対できなかったのか」ということを、率直に問い続けてまいりたいと考えております。
ダイジェストムービーはこちらから
あらすじ 概要
太平洋戦争の幕開けから4年、神戸で暮らす中学3年の清太は、母と妹の節子との3人暮らし。父は海軍の軍人で、巡洋艦に乗り組んでいます。清太は勤労動員(学校の授業の変わりに生産に従事する)で、製鋼所に通いながら、病弱な母に変わり節子の世話する日々を送っている。

その神戸の町に運命の日がやってきます。アメリカの大型爆撃機B29の来襲を告げるサイレンが鳴ると清太は節子を背負い、母を町内の防空壕に避難させた。すると間もなく、周囲は空気を切り裂く鋭い音に包まれ、四方の家並みからは、火焔と黒煙が噴き出し、熱風が空を舞う。清太は怯える節子を気遣いながら逃げまどい、防空壕に残した母のことが気掛かりでなりません。

翌日、母は全身に包帯を巻かれた姿で、小学校の臨時救護所に横たわっていた。
負傷者の治療にあたる医師と、多くの看護婦たちの白衣は、赤い血潮に染まっている。

清太は、呆然と立ちすくみながら、焼け残ったもんぺの柄で母であることを悟った。節子は、母の死が理解できない様子で「おかあちゃん、どないしたん」と、涙をこらえる清太の顔をみつめては、しきりに返事を求めた。

母の死後、遠縁の親戚に身を寄せた清太と節子は、意地悪な家人に嫌気がさし、近くの防空壕を住まいとした。

節子は、防空壕の中で、「ここが台所、こっちが玄関」と、まるで、ままごと遊びのようにはしゃぎ、日が暮れれば、僅かな食事で飢えを凌ぎ、無数のホタルに見守られての明け暮です。

やがて、8月15日。清太は日本の敗戦を知ると、思わず空を仰ぎ「連合艦隊はどないしたんや」と叫ぶ。かたわらの老人は「そんなもん残っとらんわい」の一言に、肌身はなさぬ父(海軍軍人)の写真をながめ、心の張りの失せるのを感じた。それでも。衰弱が進み、寝たきりとなった節子には、なんとしても食べ物をと、当てを求めて歩きまわる清太であった…
原作 野坂昭如
神野純市
脚本/作詞 木島 恭
演出 木島 恭
作曲 本間裕治
音楽 ニ橋潤一
振付 橋本のり子
美術 内山 勉
照明 石島奈津子
音響/効果 本間裕治
衣装 加納豊美
歌唱指導 山下美音子
運営管理 渡辺雅之
制作 町永義男 / 植木悟 / 藤波俊諭
体験者の声
作品に対する感想